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(中根英登:コトバイウ) あばうと

アオリストを知っていますか?

 
アオリスト、という言葉をご存知でしょうか。
 
新約聖書を原典から翻訳する際、
最初に立ちはだかる障壁であり、なおかつ最大の壁です。
 
アオリスト、というのは文法用語なんです。
時制を表しています。
 
現在、過去、未来、アオリスト。
 
びっくりしませんか。
時制って、現在、過去、未来、だけではなかったんです。
もう1つあるのです。それがアオリスト。
 
新約聖書において、
時制のうちアオリストが半数以上を占めています。
しかも、これ、どう翻訳すればいいか分からないのです。
この時制の意味が、現代に伝わっていないのですね。
もちろん、ヒントはあります。
アオリストそのものの単語の意味です。
ギリシア語で「境界を持たない」。
 
新約聖書は最初ギリシア語で書かれました。
ですから、ギリシア語の特徴がそのまま反映されています。
実はこのアオリスト、
現在のギリシア語でも使われているのですね。
だったら今のギリシア人に
聞けばいいじゃないかと思いますよね。
でもダメなんです。
他の言語には
アオリストという時制そのものがないのですから。
 
日本語で考えれば
なぜ伝わらないのかが
分かりやすいですかね。
 
例えば、過去。
過去って、どういうこと?
と聞かれて
過去は昔のこと。
現在の「動く」に対して
過去だと「動いた」と表現できます。
と言えば、
ああ、なるほど、
と納得できますね。
 
じゃあ、アオリストだとどうなるか。
アオリストって、どういうこと?
アオリストは境界を持たないこと。
現在の「動く」に対して
アオリストだとどう表現するか不明。
 
ね。意味分かんないでしょ。
 
らちがあかないんですよ。
 
ギリシア新約聖書の翻訳指南書には
さしあたり過去として訳しなさい
とあるのですが、
ギリシア語には他に過去形があるのですよ。
訳してみると、
過去形とアオリストでは
明らかにニュアンスが違う。
しかも、
アオリストは
現在として訳した方がぴったり合うケースも多い。
 
なんだこりゃ、ですよ。
 
そこで考えたのです。
ギリシア新約聖書研究は欧米で盛んです。
そして英語などにアオリストがないことは
調べてみて、よく分かった。
ないものは、ない。
じゃあ、日本語には、
本当にアオリストがないのだろうか。
ひょっとしたら、ないのではなく、
誰も真剣に考えてこなかっただけなのではないだろうか、と。
 
意味が「境界を持たない」であるのなら、
時制の外から時制の中に入って来るような意味であろう、
と当たりは付けていました。
ただ、それをどう表現すればいいのやらさっぱり。
 
天啓、としか言いようがありません。
突然降りてきたんです。
 
「することになっていた」。
 
さっそく、当てはめてみることにしました。
新約聖書のほぼ冒頭からアオリストは登場いたしますし。
 
アブラハムはイサクをもうけることになっていた。」
 
全身に電気が走りました。
従来の
アブラハムはイサクをもうけた。」
と比べて、明らかに豊かな意味が含まれている。
 
アブラハムはイサクをもうけることになっていた。」
これは、これは、
台本だ。
神による、設定書。
 
そうか。
神様を、脚本家と捉えればいいんだ。
神様にとっては、本の内容を自在に操作することができる。
時制の外から時制の中に入る、
にもぴったり合致している。
時制の外の神様が
本の中身も時間も好きなように動かすことができるのだから。
 
『マタイによる福音書』の第1章をすべて訳してみました。
 
新約聖書『マタイによる福音書』1章2節
アブラハムはイサクをもうけることになっていた。
 その上で、イサクはヤコブをもうけることになっていた。
 その上で、ヤコブはユダを、
 そして、かのユダの兄弟たちをもうけることになっていた。」
 
"Abraham begat Isaac;
 and Isaac begat Jacob;
 and Jacob begat Judah
 and his brothers."
 
  Ἀβραὰμ ἐγέννησεν τὸν Ἰσαάκ,
  Ἰσαὰκ δὲ ἐγέννησεν τὸν Ἰακώβ,
  Ἰακὼβ δὲ ἐγέννησεν τὸν Ἰούδαν
  καὶ τοὺς ἀδελφοὺς αὐτοῦ,
 
代々の人名が列挙されているだけで
ともすれば単調、と言われがちだった第1章が
生き生きとしはじめました。
単調、どころの話じゃない。
これは、ジェットコースターだ。
ジェットコースターの冒頭の
ガタンゴトン、ガタンゴトン、
あの、チェーンリフトの音だ。
人類の歴史は、
すべて、神様が決めていたことだったんだ。。
 
『マタイによる福音書』をすべて訳し終えた頃には
アオリストの細かいニュアンスの訳し分け方も分かってきました。
 
地の文では「することになっていた」。
台詞の中では「することになっている」。
 
地の文では、文末を過去形で訳さないとおかしいですが、
台詞の中では、文末を現在形で訳した方が鮮やかになります。
例えば、イエスの父親であるヨセフに、天使が語りかける場面は
こうなります。
 
新約聖書『マタイによる福音書』2章13節
「夢うつつに応じて、ヨセフに、
 主の使いが
 自分自身でわざわざ見えている。
 言っている、
 『目覚めさせられることになっているあなたは、
  小さな子供を、そして、かの子供の母を、
  連れて行きなさいとなっています。』」
 
"a messenger of the Lord
 appeared
 in a dream to Joseph,
 saying,
“Get up,
  and take
  the little boy and his mother
 
  ἄγγελος κυρίου φαίνεται
  κατʼ ὄναρ τῷ Ἰωσὴφ
  λέγων •
  Ἐγερθεὶς
  παράλαβε
  τὸ παιδίον καὶ τὴν μητέρα αὐτοῦ
 
子イエスと母マリアを連れて行きなさい。
と言うよりも
子イエスと母マリアを連れて行きなさいとなっています。
の方が、神によって決められていることである感が
俄然強調されますよね。
 
ですので、時制は
4種類あることになります。
現在、過去、未来。そして、設定。
設定。それがアオリスト。
 
なお、
私が採用しなかった訳し方があります。
「したことになっている」
です。
なぜか。
アブラハムはイサクをもうけることになっていた。」
と比べて、
アブラハムはイサクをもうけたことになっている。」
は、一気に嘘っぽくなってしまうのです。
私は、この訳し方を
嘘のアオリスト
と呼んでいます。
フィクションっぽさが全面に出てしまいますので。
 
この訳し方を採用しなかったのは
私の主観に従いました。
でも、本質的にはどちらが正しくてもよいとも思っています。
 
おそれずに言います。
新約聖書はフィクションです。
なぜなら、
私もまたフィクションだからです。
新約聖書も私もこの世界もすべて
神が創造したフィクションなのですから。
 
殺された人が蘇った。
ありえないことです。
ですからフィクションです。
ですから、
フィクションの住人である私もあなたも
ありえないことを起こすことができるのです。
 
そして、
それを前提に
世界は動いているのですから。
 
(『・新約聖書【真理発見訳】New Testament [Truth Discovery Version]』より引用)
http://shinyakuseisho.com/japanese
 

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