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(中根英登:コトバイウ) あばうと

目からうろこ。目に角材。

 
エスの面白エピソードと言えば。
 
エスの言い回しが面白いんですよ。
 
エスの面白さが伝わらないとすれば
それは
翻訳が悪いんですよ。
それは私も例外でないわけで。
すみませんねほんとに。
ぼくが逐語な訳にこだわってしまったせいで。
 
でもね、
自分で翻訳しているだけあって
どこが面白いかは
ちゃんとわかっているんですよ。
ご紹介いたしますね。
 
目からうろこ、
ということわざがあります。
このことわざ、実は新約聖書が由来でして。
エスの後のパウロがまだサウロと呼ばれていた頃、
目からうろこが落ちて
エスの信者を迫害するのをやめたあげく
エスの信者を増やすために先頭に立つようになる
というエピソードなのです。
 
実はイエス自身も
似たようなエピソードを言っています。
 
『マタイによる福音書 7章』
 
Mt.07:01.〈Ελληνική〉 Μὴ κρίνετε, ἵνα μὴ κριθῆτε•
Mt.07:01.〈Latin〉 nolite iudicare ut non iudicemini
Mt.07:01.〈William Tyndale〉 Iudge not that ye be not iudged.
Mt.07:01.〈first King James〉 Iudge not, that ye be not iudged.
Mt.07:01.〈recent King James〉 Judge not, that ye be not judged.
Mt.07:01.〈Improved〉 “Do not judge, so that you will not be judged.
Mt.07:01.〈口語版〉 人をさばくな。自分がさばかれないためである。
Mt.07:01.〈練語版〉 裁いてはいけない。裁かれないためです。
Mt.07:01.〈逐語版〉 あなたがたが裁いてはいけません。なぜならあなたがたが裁かれようとすることになっていないからです。
 
Mt.07:02.〈Ελληνική〉 ἐν ᾧ γὰρ κρίματι κρίνετε κριθήσεσθε, καὶ ἐν ᾧ μέτρῳ μετρεῖτε μετρηθήσεται ὑμῖν.
Mt.07:02.〈Latin〉 in quo enim iudicio iudicaveritis iudicabimini et in qua mensura mensi fueritis metietur vobis
Mt.07:02.〈William Tyndale〉 For as ye iudge so shall ye be iudged. And wt what mesure ye mete wt the same shall it be mesured to you agayne.
Mt.07:02.〈first King James〉 For with what iudgment ye iudge, yee shall be iudged: and with what measure ye mete, it shall be measured to you againe.
Mt.07:02.〈recent King James〉 For with what judgment ye judge, ye shall be judged: and with what measure ye mete, it shall be measured to you again.
Mt.07:02.〈Improved〉 For with what judgment you judge, you will be judged, and with what measure you measure, it will be measured to you.
Mt.07:02.〈口語版〉 あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。
Mt.07:02.〈練語版〉 あなたがたが裁くその裁きであなたがたは裁かれ、あなたがたが量るその量りであなたがたは量られる。
Mt.07:02.〈逐語版〉 かの事の中で、裁きの中で、あなたがたが裁いているのですから。あなたがたは裁かれることとするのですから。そして、かの事の中で、量りの中で、あなたがたが量っているのですから。かの量りがあなたがたに量られることとするのですから。
 
Mt.07:03.〈Ελληνική〉 τί δὲ βλέπεις τὸ κάρφος τὸ ἐν τῷ ὀφθαλμῷ τοῦ ἀδελφοῦ σου, τὴν δὲ ἐν τῷ σῷ ὀφθαλμῷ δοκὸν οὐ κατανοεῖς;
Mt.07:03.〈Latin〉 quid autem vides festucam in oculo fratris tui et trabem in oculo tuo non vides
Mt.07:03.〈William Tyndale〉 Why seist thou a moote in thy brothers eye and perceavest not the beame yt ys yn thyne awne eye.
Mt.07:03.〈first King James〉 And why beholdest thou the mote that is in thy brothers eye, but considerest not the beame that is in thine owne eye?
Mt.07:03.〈recent King James〉 And why beholdest thou the mote that is in thy brother's eye, but considerest not the beam that is in thine own eye?
Mt.07:03.〈Improved〉 But why do you see the speck in the eye of your brother, but do not consider the beam in your eye?
Mt.07:03.〈口語版〉 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
Mt.07:03.〈練語版〉 なぜあなたは、自分の兄弟の目の中にあるちりを見て、自分の目の中にある角材を考えないのか。
Mt.07:03.〈逐語版〉 その上で、何かを、あなたの兄弟のまなざしの中でのちりを、あなたは見ています。その上で、あなたのまなざしの中での角材を、あなたは考えていないのです。
 
Mt.07:04.〈Ελληνική〉 ἢ πῶς ἐρεῖς τῷ ἀδελφῷ σου• Ἄφες ἐκβάλω τὸ κάρφος ἐκ τοῦ ὀφθαλμοῦ σου, καὶ ἰδοὺ ἡ δοκὸς ἐν τῷ ὀφθαλμῷ σοῦ;
Mt.07:04.〈Latin〉 aut quomodo dicis fratri tuo sine eiciam festucam de oculo tuo et ecce trabis est in oculo tuo
Mt.07:04.〈William Tyndale〉 Or why sayest thou to thy brother: suffre me to plucke oute the moote oute of thyne eye and behold a beame is in thyne awne eye.
Mt.07:04.〈first King James〉 Or how wilt thou say to thy brother, Let mee pull out the mote out of thine eye, and beholde, a beame is in thine owne eye?
Mt.07:04.〈recent King James〉 Or how wilt thou say to thy brother, Let me pull out the mote out of thine eye; and, behold, a beam is in thine own eye?
Mt.07:04.〈Improved〉 Or how will you say to your brother, ‘Let me cast the speck out of your eye,’ and behold, the beam in your eye?
Mt.07:04.〈口語版〉 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
Mt.07:04.〈練語版〉 また、どうして自分の兄弟に『ちりをあなたの目から取っ払わせてくれ』と言うのか。見よ、自分の目の中に角材があるではないか。
Mt.07:04.〈逐語版〉 あるいは、どのようにあなたはあなたの兄弟に宣言することとするのですか。『あなたが放って置いてくださいとなっています。あなたのまなざしの中から外へ、ちりをわたしが外に放り投げようとすることになっています。』そして、あなたが見て取れとなっています。あなたの目の中に角材です。
 
Mt.07:05.〈Ελληνική〉 ὑποκριτά, ἔκβαλε πρῶτον ἐκ τοῦ ὀφθαλμοῦ σοῦ τὴν δοκόν, καὶ τότε διαβλέψεις ἐκβαλεῖν τὸ κάρφος ἐκ τοῦ ὀφθαλμοῦ τοῦ ἀδελφοῦ σου.
Mt.07:05.〈Latin〉 hypocrita eice primum trabem de oculo tuo et tunc videbis eicere festucam de oculo fratris tui
Mt.07:05.〈William Tyndale〉 Ypocryte fyrst cast oute the beame oute of thyne awne eye and then shalte thou se clearly to plucke oute the moote out of thy brothers eye.
Mt.07:05.〈first King James〉 Thou hypocrite, first cast out the beame out of thine owne eye: and then shalt thou see clearely to cast out the mote out of thy brothers eye.
Mt.07:05.〈recent King James〉 Thou hypocrite, first cast out the beam out of thine own eye; and then shalt thou see clearly to cast out the mote out of thy brother's eye.
Mt.07:05.〈Improved〉 Hypocrite, first cast the beam out of your eye, and then you will see clearly to cast the speck out of the eye of your brother.
Mt.07:05.〈口語版〉 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
Mt.07:05.〈練語版〉 偽善者よ、まず自分の目から角材を取っ払いなさい。そうすれば、自分の兄弟の目からちりを取っ払うために、はっきりと見えるだろう。
Mt.07:05.〈逐語版〉 見せかけの者よ。まずあなたのまなざしの中から外へ、角材を外に放り投げなさいとなっています。そして、そのとき、あなたははっきり見えることとします。あなたの兄弟のまなざしの中から外へ、ちりを取り払うことになっているために。
 
ここでまず強調しておきたいのは、
口語訳において

と訳したのは
いくらなんでも間違いであろう
と言うことです。
他の方の訳を間違いというのは
慎重であるべきだと思う私が
ことさらに強調させていただきたい。

と訳すのは間違いであると。
 
梁とは
柱の上にはり渡し、屋根を支える材。
と辞書にあります。
 
画像検索をすると分かると思うのですが、
古民家に訪れると
天井を見上げた時、
横にはり渡っている太い木材がありますよね。
見どころとして紹介されたりなんかもして。
梁って、あれですよ、あれ。
 
ですから
梁って
木材であると同時に、
建築物の一部としての木材の位置
を表している
と言えるわけです。
 
。。。
 
梁は
いくらなんでも
絶対に
目に入るわけないやろ。
 
だってですよ。
梁は
天井にあるんですよ。
梁を目に入れたかったら
まず自分が天井に登って

梁は建物に完全に組み込まれてますから
梁の端っこは触ることもできないわけです。
ですからそうですね、
梁の見えてる部分、
梁の真ん中あたりですかね、
そこに目を押しつけて
あの、とっかかりが、とっかかりが、ない
って、目に入るわけないやろ!
 
うん。
ありえないにしても
限度というものがあるわけです。
イメージのしにくさ
そこが致命傷です。
 
このギリシア
δοκός
には、
梁の他に
木材、角材
という意味があるわけです。
 
だったら
この場合は
角材でしょう。
木材の方を選んでもよかったのですけど
木材だと大きさがまちまちなので
イメージがしにくいであろうと思いまして
建物に使うため形が整えられた木でできた材料である
角材
を正しい訳として私は選びました。
 
はい。
角材でしたら
目に入りますよね。
って、
痛い痛い痛い痛い!
 
そう、
これですよ、これ。
こうイメージできることが大事なのです。
 
相手の目の中にあるちりには気づいてあげることができるのに、
自分の目の中にある角材にどうして気づくことができないんだい?
と。
 
ちり、じゃないですからね。
角材ですからね。
そんな大きくて痛い物に自分で気づかないなんで
よっぽどどうかしてるぜ、と。
 
まあ、
こころあたりはありますよねえ。
他人の欠点にはすぐ気づくのに
自分の欠点には気づかない。
人間がいつまで経っても治らない悪い癖です。
人間が2000年経っても治らない悪い癖です。
そういった人間のさがを
エスはこうして
たとえ話を使ってお話したわけです。
 
ところで
角材なり、梁なり、
ギリシア語の
δοκός
英語では
beam
という単語なんだよなあ。
ウルトラマンの目からビームって
ひょっとしたら、
ここからの連想?
 
新約聖書においては
目からビーム
ではありません。
目にビーム
です。
 
ちり、という訳も、
ほこり、の方が良いのかもしれませんね。
 
目にちりが入る。
目にほこりが入る。
一般的に言うのはほこりの方。
 
でもなあ。
ほこりを脳内で映像化すると
どうしても
わたぼこり
が浮かぶんだよなあ。
わたぼこりを目に入れたら
きっと痛いだろうなあ。
というか、イヤ。
 
ここでいう
ちり、とか、ほこり、って、
空気中に漂っている
小さな何か
のことなんですけどね。
君の名は。』で
三葉の部屋の中で
ふよふよ浮いていた、あれです。
というか
アニメなのに
そこまでの細かい描写、
君の名は。
すげー。
 
エスって
ものすごく
話がうまかったのです。
この
目に角材
のくだりを聞いている弟子たちの表情、
にやにや
しているのが想像できますよね。
角材
という単語が出た瞬間
爆笑
ですよ。
弟子たちは
エスのお話を
本当に楽しみにしていたんですよね。
 
伝言ゲームと同じように
翻訳を重ねるにつれ
もっともそぎ落とされてしまったのは
エスが用意した爆笑ポイント
なんです。
笑いのシーンよりも
威厳や権威を優先してしまった。
ひょっとしたら
威厳なんて翻訳家は考えてもいなかったかもしれませんが。
翻訳する際
元の意味を保持することを優先しようとすると
どうしても固くなる傾向がありますから。
その、翻訳技術的にただ固くなってしまった文章を、
読み手の人々が、
権威のある文章だと持ち上げてしまった。
こうして
エスの真意からますます離れていってしまった。
 
それにですね、
くだけた表現って
どうしても同時代性が乗っかってくるんで
翻訳として採用しにくいんですよ。
 
エスが十字架の上で絶命する際、
「まんじー!」
って叫んだのが、
仮に本当に正解の訳だとしても
翻訳家としては選びにくいでしょ(笑)
それと一緒ですよ。
 
翻訳家がどうしても
本に載せる言葉としては躊躇してしまった
エスが実際に伝えようとしていた面白さ、
これを伝えることこそが
教会の先生でしかできないわざ
なのですよ。
 
もっとも深い所まで
新約聖書を掘り下げようとした者は
エスの楽しさまで伝えることができるようになるのです。
エスと同じように
人気者になれるのですよ。
 
『・新約聖書【真理発見訳】New Testament [Truth Discovery Version]』
http://shinyakuseisho.com/
 

来てくれてありがとね。ここは、がんばる人を応援するサイトなんだ。なんだったら。
cotobatsumugi @ NAKANE Hideto(`・ω・´)