ここは、がんばる人を応援するサイトです。
(中根英登:コトバイウ) あばうと

イエスの言葉「放って置く」

 
要約すれば、
現代の一般的な翻訳も
原典も
一緒なんです。
 
ですので
キリスト教の先生でなければ
そこまで
神経質に
なる必要もないとも思うのですが。
 
でも
キリスト教の先生である以上、
聖書に載っている
細かいニュアンスを元に
論を立てるってこと、
当然しますよね。
 
その細かいニュアンス、
印象的だからこそ
取り立てて紹介したい
ということですよね。
 
そういう箇所こそ
大抵は
後世の
翻訳の際に付け加えられた
演出なのですよ。
 
ショックと言えば
ショックなのですけどね。
 
ただ
これも
前向きにとらえましょう。
情報技術の発達した現在だからこそ
気づけたこと、
発信できたこと
という側面は間違いなくあるので。
こういう見方、たしかにありえたよなあ、
面白いなあって。
 
さて。
 
この場面から
話を始めましょうか。
 
Mt.27:50.〈練語版〉 イエスは再び大声で叫んで、霊をゆだねた。
Mt.27:50.〈逐語版〉 その上で、再び、偉大な音に叫ぶことになっているイエスが、霊を放って置くことになっていた。
 
エス
十字架の上で
亡くなったシーンです。
 
あ。
ちなみに
練語版はロバートテリーが、
逐語版は私、中根英登が
翻訳しています。
 
Mt.27:50.〈Ελληνική〉 ὁ δὲ Ἰησοῦς πάλιν κράξας φωνῇ μεγάλῃ ἀφῆκεν τὸ πνεῦμα.
 
まさに亡くなるシーンですから、
どれほど重要なシーンか
という話なのですが。
 
ここで登場する
ἀφῆκεν
この動詞の原形は
ἀφίημι
なのですが、
この単語で
私の手がピタと止まってしまいまして。
 
文脈上では
まさに亡くなるシーンですから、
亡くなる
とか、
一般に流布されている口語訳における
息をひきとった
とかが、
文脈上は、まさしくドンピシャリなのですけど。
 
この動詞、
新約聖書の中で
最頻出の動詞のひとつなんですよ。
そして
ここ以外では
亡くなる
というニュアンスは一切あり得ない場面ばかりなのです。
すなわち、
無条件に
亡くなる
と訳すのは早計な単語であると。
 
そこで
『マタイによる福音書
の中で登場する
ἀφίημι
という動詞を
すべて洗い出すことにいたしました。
 
ἀφίημι
という動詞の原形の単語、
アフィイミ
と発音します。
 
ちゃんとした発音記号では
こうなります。
ἀφίημι
[ afiimi ]
【アイミ】
 
そうしたらですね。
ἀφίημι
という単語、
口語訳聖書では
これだけ多くの意味に
訳し分けられていたのです。
以下に、口語訳による各文もギリシア語原典と並べて添えておきます。
 
「離れ去る」「捨てる」「与える」「許す」「赦す」「見のがす」「待つ」「息をひきとる」
 
Mt.04:11.〈Ελληνική〉 τότε ἀφίησιν αὐτὸν ὁ διάβολος, καὶ ἰδοὺ ἄγγελοι προσῆλθον καὶ διηκόνουν αὐτῷ.
Mt.04:11.〈口語版〉 そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。
 
Mt.04:20.〈Ελληνική〉 οἱ δὲ εὐθέως ἀφέντες τὰ δίκτυα ἠκολούθησαν αὐτῷ.
Mt.04:20.〈口語版〉 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。
 
Mt.05:40.〈Ελληνική〉 καὶ τῷ θέλοντί σοι κριθῆναι καὶ τὸν χιτῶνά σου λαβεῖν, ἄφες αὐτῷ καὶ τὸ ἱμάτιον•
Mt.05:40.〈口語版〉 あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。
 
Mt.06:12.〈Ελληνική〉 καὶ ἄφες ἡμῖν τὰ ὀφειλήματα ἡμῶν, ὡς καὶ ἡμεῖς ἀφήκαμεν τοῖς ὀφειλέταις ἡμῶν•
Mt.06:12.〈口語版〉 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
 
Mt.09:05.〈Ελληνική〉 τί γάρ ἐστιν εὐκοπώτερον, εἰπεῖν• Ἀφίενταί σου αἱ ἁμαρτίαι, ἢ εἰπεῖν• Ἔγειρε καὶ περιπάτει;
Mt.09:05.〈練語版〉 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩きなさい』と言うのと、どちらが簡単か。
 
Mt.23:23.〈Ελληνική〉 Οὐαὶ ὑμῖν, γραμματεῖς καὶ Φαρισαῖοι ὑποκριταί, ὅτι ἀποδεκατοῦτε τὸ ἡδύοσμον καὶ τὸ ἄνηθον καὶ τὸ κύμινον, καὶ ἀφήκατε τὰ βαρύτερα τοῦ νόμου, τὴν κρίσιν καὶ τὸ ἔλεος καὶ τὴν πίστιν• ταῦτα ἔδει ποιῆσαι κἀκεῖνα μὴ ἀφιέναι.
Mt.23:23.〈口語版〉 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。
 
Mt.27:49.〈Ελληνική〉 οἱ δὲ λοιποὶ ἔλεγον• Ἄφες ἴδωμεν εἰ ἔρχεται Ἠλίας σώσων αὐτόν.
Mt.27:49.〈口語版〉 ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。
 
Mt.27:50.〈Ελληνική〉 ὁ δὲ Ἰησοῦς πάλιν κράξας φωνῇ μεγάλῃ ἀφῆκεν τὸ πνεῦμα.
Mt.27:50.〈口語版〉 イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
 
「離れ去る」「捨てる」「与える」「許す」「赦す」「見のがす」「待つ」「息をひきとる」
 
どれも同じ単語だったんだ。。。
 
考え込みましてね。
訳し分けるのもひとつのやり方である。
たしかにやり方ではあるのだけれども。
元が同じ単語である以上、
すべて同じ意味として訳すのも
ひとつの方法なのではないか
と。
 
「離れ去る」「捨てる」「与える」「許す」「赦す」「見のがす」「待つ」「息をひきとる」
 
そこで
これだけ訳し分けられている
この動詞を
たった1つの意味に統一しようと
決心したわけです。
 
他の単語も
可能な限りすべてそうしています。
 
ですので
私の翻訳した
逐語版
の最大の特徴は
1つの単語に1つの意味で翻訳
であると言えるのです。
 
「離れ去る」「捨てる」「与える」「許す」「赦す」「見のがす」「待つ」「息をひきとる」
 
さて。
これらの意味のうち
「待つ」と「息をひきとる」は
文脈に沿った意訳ということが
分かりましたので
統一候補から外します。
そして
残った意味を繰り返し見て行くと
「離れ去る」と「ゆるす」の2つに
大意が絞られる
と考えました。
 
『Interlinear Scripture Analyzer』
http://www.scripture4all.org/
無料ダウンロードにて手に入れることのできる
アドルフ・エルンスト・ノックさん
https://en.wikipedia.org/wiki/Adolph_Ernst_Knoch
の翻訳による意味。
これが
最後のよりどころ
ですね。
近代以降で
最も
聖書の深いところまで探索された方なので。
 
ἀφίημι
元は
from-let
という意味。
ノックさんは
leave
と解釈。
 
ほう。
これまた最も
プリミティブな。
 
from-letって
何だ?
 
leaveは
これまた
訳の多い単語。
ただ、傾向は
分かります。
leaveのうち、
from-let
に絞ることのできる意味とは。
 
放って置く
だ。
 
ここまで
実際には
のべ時間で
750時間は
かけています(笑)
 
あきらめないって
大事ですね。
 
放って置く
ぐらい
プリミティブな意味だと
どんな文脈でも
マッチするのですよ。
 
「離れ去る」「捨てる」が
放って置く。
これらは
簡単に結びつきますね。
まあ、
ほぼほぼ
同じ意味です。
 
Mt.27:50.〈口語版〉 イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
Mt.27:50.〈逐語版〉 その上で、再び、偉大な音に叫ぶことになっているイエスが、霊を放って置くことになっていた。
 
「息をひきとった。」
「霊を放って置くことになっていた。」
 
エスが亡くなるシーン

という名詞と1セットだったんですよ。
霊を、どうする。
霊を、放って置く。
なるほどなあ。
これで
亡くなる
ということを表現していたのかあ。
 
そして
問題は
ゆるす
です。
 
罪を赦す。
罪を放って置く。
 
確かにね。
確かにね。
赦すって、
じゃあ、どういう状態かというと
放って置く
ということですわね。
それ以上問い詰めない
それ以上責任を負わせない
ということなのですから。
 
で。
 
私は
放って置く
が本来の意味と判断しました。
翻訳である以上
これが正解である
と私なりに決断しなければなりませんから。
 
ただ。
 
他の可能性も
ありえた。
そのことにも
想いを馳せてしまうのです。
 
例えば、
放って置く
ではなく
すべて
赦す
だったとしたら。
 
こちらの方が
宗教書らしいですよね。
赦す。
まさしくイエスの代名詞的な動詞ですし。
 
ただ、
そうすると。
 
「その上で、再び、偉大な音に叫ぶことになっているイエスが、霊を赦すことになっていた。」
 
そうか。
死ぬ
ということは
霊が赦された状態なのか。
となると、
この地上は
刑場
だったのかな。
 
ほら、
竹取物語』の
かぐや姫って
月で罪を犯したから
地球に流されたんですよね。
それと同じだったんですよ。
エスって。
 
赦される
に統一すると
新しい解釈というか
新しい物語が
生まれちゃうんですよ。
 
Mt.04:11.〈口語版〉 そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。
 ↓
「そこで、悪魔はイエスを赦し、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。」
 
序盤の、イエスと悪魔が対峙する場面のラストシーン。
ダメではないんですけどね。
でも
ここで当てはめてみて
分かったんですけど、
赦すって
正しい方が、間違っている人に対して行う行為なんですよ。
エスと悪魔は敵対しているから
赦す
という言葉はそれなりにマッチしているのですけど、
それでも
悪魔がイエスに行なってはいけないと思います。
これではまるで
エスが間違っていて
悪魔が正しい
という印象を与えかねない(笑)
 
ここ、本当にいいシーンなんです。
エス
悪魔の
悪魔、
本当は、
ディアボロスっていう固有名詞的な存在なのですけど、
ディアボロスの考え方を論破していき
誘惑に打ち勝つシーンなわけです。
それが
ディアボロスがイエスを赦すとなると
ディアボロス先生にイエスが反抗していた的な
中二的な展開になってしまうわけです(笑)
世界征服をけしかけるディアボロス先生もディアボロス先生ですが。
 
もうね。なんだろうこの感じ。
 
ですので。
1つに統一するならば
放って置く
であると。
 
放って置く

赦す

同じ意味。
 
ここまで言い切っちゃうと
語弊があると思います。
同じ意味では、ない。
 
でも、
そこまで異なる意味でも、ない。
 
従来、
エス
赦す
と訳されてきた場面も
放って置く
に置き換えてみると
新鮮な味わいがあるのですよ。
なんていうか
放って置く
だけで解決するのですよ的な。
 
ここで
改めて
インターネットエチケット
ネチケット
を見直したんですよ。
 
ネットは放置プレイが基本方針。
 
放って置く
って
放置
ってことですものね。
 
ぼくにとって
エスと現代が
つながった瞬間だったんです。
放って置く
に統一することは。
 
 * * * * *
 
以下では
放って置く
を含む代表的な文を
ギリシア語原典
西暦405年ラテン語
ウィリアム・ティンダル英語版
キング・ジェームズ初出英語版
キング・ジェームズ最新英語版
日本語口語版
日本語練語版
日本語逐語版
と並べています。
 
本当に
ウィリアム・ティンダル
自分の判断で
訳してしまったのだろうか
と。
 
そしたら
さらに
ルーツがありました。
ギリシア語から
ラテン語に翻訳した時点で既に
訳し分けられていたのです。
つまり、
ウィリアム・ティンダル
実際のところ、
ラテン語の翻訳に従っていた、と。
 
これで
私の知りたかったことの結論が見えてきました。
ギリシア語の新約聖書を変容させたのは
ラテン語に翻訳した人物である、と。
すなわち
ウルガータ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%BF
という版名の
西暦405年ラテン語版を作った人物である、と。
その人物の名は
ヒエロニムス。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%83%A0%E3%82%B9
もっとも
ヒエロニムスさんひとりに帰結させることも乱暴で。
ヒエロニムスさんは
すでにいくつも訳されていたラテン語版の集大成的な役割を担った人。
ひとつ言えていることは
ローマ帝国で生活していた人々の総体的な意志が働いている
ということ。
ラテン語とは
ローマ帝国公用語でしたので。
当時は
ギリシャ文明からローマ文明への
過渡期でしたので。
 
もし
ラテン語の翻訳の際、
ギリシア語に
もっとさらに
忠実に厳密に
翻訳していたならば
エスの教えは
もっと明るい、
陽気で素朴なままの教えで
いられたのではないだろうか。
どうしても
想いを馳せてしまうのです。
 
いずれにせよ。
 
もしお時間があれば
ネット上にある各国の辞書を使って
以下の各文の単語を検索してみることをお勧めします。
感慨深い歴史旅行にいざなうことができます。
翻訳の変遷は
歴史の変遷。
30年前までは
資料集めだけで
一生かけなければならないものでしたが
今では1日もあれば
ネット上で簡単に集めることができます。
2000年の経過を目の当たりにすることができる。
今って
すごい時代に突入したのですよ。
 
そして
私が翻訳している日本語逐語訳に
もし歴史的意義があるとしたら
それは
ギリシア語で同一の単語を
日本語で簡単に検索できるということ。
もし私が訳を間違っていたのならば
気が付いた人が
簡単に修正できますものね。
一括変換で。
 
Mt.04:11.〈Ελληνική〉 τότε ἀφίησιν αὐτὸν ὁ διάβολος, καὶ ἰδοὺ ἄγγελοι προσῆλθον καὶ διηκόνουν αὐτῷ.
Mt.04:11.〈Latin〉 tunc reliquit eum diabolus et ecce angeli accesserunt et ministrabant ei
Mt.04:11.〈William Tyndale〉 Then the dyvell left hym and beholde the angels came and ministred vnto hym.
Mt.04:11.〈first King James〉 Then the deuill leaueth him, and behold, Angels came and ministred vnto him.
Mt.04:11.〈recent King James〉 Then the devil leaveth him, and, behold, angels came and ministered unto him.
Mt.04:11.〈口語版〉 そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。
Mt.04:11.〈練語版〉 そこで、謗魔は彼を離れ、そして、見よ、使いの者たちが近づいてきて彼に仕えた。
Mt.04:11.〈逐語版〉 そのとき、かのイエスを謗魔ディアボロスは放って置いている。そして、あなたが見て取れとなっている。使いたちが近づいて来ることになっていた。そして、かのイエスに、かの使いたちが仕えだした。
 
Mt.04:20.〈Ελληνική〉 οἱ δὲ εὐθέως ἀφέντες τὰ δίκτυα ἠκολούθησαν αὐτῷ.
Mt.04:20.〈Latin〉 at illi continuo relictis retibus secuti sunt eum
Mt.04:20.〈William Tyndale〉 And they strayght waye lefte their nettes and folowed hym.
Mt.04:20.〈first King James〉 And they straightway left their nets, and followed him.
Mt.04:20.〈recent King James〉 And they straightway left their nets, and followed him.
Mt.04:20.〈口語版〉 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。
Mt.04:20.〈練語版〉 彼らはすぐに網を残して、彼について行った。
Mt.04:20.〈逐語版〉 その上で、すぐに網々を放って置くことになっている、かのシモンらたちは、かのイエスについて行くことになっていた。
 
Mt.05:40.〈Ελληνική〉 καὶ τῷ θέλοντί σοι κριθῆναι καὶ τὸν χιτῶνά σου λαβεῖν, ἄφες αὐτῷ καὶ τὸ ἱμάτιον•
Mt.05:40.〈Latin〉 et ei qui vult tecum iudicio contendere et tunicam tuam tollere remitte ei et pallium
Mt.05:40.〈William Tyndale〉 And yf eny man will sue the at the lawe and take awaye thy coote let hym have thy cloocke also.
Mt.05:40.〈first King James〉 And if any man will sue thee at the law, and take away thy coate, let him haue thy cloake also.
Mt.05:40.〈recent King James〉 And if any man will sue thee at the law, and take away thy coat, let him have thy cloak also.
Mt.05:40.〈口語版〉 あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。
Mt.05:40.〈練語版〉 あなたを訴えてあなたの上着を手に入れようとする者には、外衣をも与えなさい。
Mt.05:40.〈逐語版〉 そして、あなたに裁かれることになっていることを、望んでいる者に、抵抗することになっていないことを、あなたがたにわたしは言います。そして、あなたの上着を手に入れることになっていることを、あなたに望んでいる者に、かの者に、外衣をも、あなたが放って置きなさいとなってます。
 
Mt.06:12.〈Ελληνική〉 καὶ ἄφες ἡμῖν τὰ ὀφειλήματα ἡμῶν, ὡς καὶ ἡμεῖς ἀφήκαμεν τοῖς ὀφειλέταις ἡμῶν•
Mt.06:12.〈Latin〉 et dimitte nobis debita nostra sicut et nos dimisimus debitoribus nostris
Mt.06:12.〈William Tyndale〉 And forgeve vs oure treaspases eve as we forgeve oure trespacers.
Mt.06:12.〈first King James〉 And forgiue vs our debts, as we forgiue our debters.
Mt.06:12.〈recent King James〉 And forgive us our debts, as we forgive our debtors.
Mt.06:12.〈口語版〉 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
Mt.06:12.〈練語版〉 わたしたちの負い目をお許しください、わたしたちもわたしたちに負い目のある人々を許しましたように。
Mt.06:12.〈逐語版〉 そして、わたしたちにわたしたちの負債負債を、あなたが放って置いてくださいとなっています。わたしたちの負債負債のある者たちに、わたしたちもが放って置くことになっているように。
 
Mt.09:05.〈Ελληνική〉 τί γάρ ἐστιν εὐκοπώτερον, εἰπεῖν• Ἀφίενταί σου αἱ ἁμαρτίαι, ἢ εἰπεῖν• Ἔγειρε καὶ περιπάτει;
Mt.09:05.〈Latin〉 quid est facilius dicere dimittuntur tibi peccata aut dicere surge et ambula
Mt.09:05.〈William Tyndale〉 Whether ys esyer to saye thy synnes be forgeven ye or to saye: arise and walke?
Mt.09:05.〈first King James〉 For whether is easier to say, Thy sinnes be forgiuen thee: or to say, Arise, and walke?
Mt.09:05.〈recent King James〉 For whether is easier, to say, Thy sins be forgiven thee; or to say, Arise, and walk?
Mt.09:05.〈練語版〉 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩きなさい』と言うのと、どちらが簡単か。
Mt.09:05.〈練語版〉 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩きなさい』と言うのと、どちらが簡単か。
Mt.09:05.〈逐語版〉 『あなたの罪々は放って置かれています。』と言うことになっていることより安易な何かがあるのですから。あるいは、『あなたが目覚めなさい。そして、あなたが歩きなさい。』と言うことになっていることより安易な何かがあるのですから。
 
Mt.23:23.〈Ελληνική〉 Οὐαὶ ὑμῖν, γραμματεῖς καὶ Φαρισαῖοι ὑποκριταί, ὅτι ἀποδεκατοῦτε τὸ ἡδύοσμον καὶ τὸ ἄνηθον καὶ τὸ κύμινον, καὶ ἀφήκατε τὰ βαρύτερα τοῦ νόμου, τὴν κρίσιν καὶ τὸ ἔλεος καὶ τὴν πίστιν• ταῦτα ἔδει ποιῆσαι κἀκεῖνα μὴ ἀφιέναι.
Mt.23:23.〈Latin〉 vae vobis scribae et Pharisaei hypocritae quia decimatis mentam et anethum et cyminum et reliquistis quae graviora sunt legis iudicium et misericordiam et fidem haec oportuit facere et illa non omittere
Mt.23:23.〈William Tyndale〉 Wo be to you Scribes and Pharises ypocrites which tythe mynt annyse and comen and leave the waygthtyer mattres of ye lawe vndone: iudgemet mercy and fayth. These ought ye to have done and not to have left the othre vndone.
Mt.23:23.〈first King James〉 Woe vnto you Scribes and Pharisees, hypocrites; for yee pay tithe of mint, and annise, and cummine, and haue omitted the weightier matters of the Law, iudgement, mercie and faith: these ought ye to haue done, and not to leaue the other vndone.
Mt.23:23.〈recent King James〉 Woe unto you, scribes and Pharisees, hypocrites! for ye pay tithe of mint and anise and cummin, and have omitted the weightier matters of the law, judgment, mercy, and faith: these ought ye to have done, and not to leave the other undone.
Mt.23:23.〈口語版〉 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。
Mt.23:23.〈練語版〉 偽善者である書記官たちとパリサイ人たちよ、あなたがたは災いです。あなたがたははっか、いのんど、クミンの十分の一を納めながら、律法のもっと重大な事柄、すなわち正義とあわれみと信仰を見のがしている。これらこそ行うべきことです。だが、あれらも見のがしてはならない。
Mt.23:23.〈逐語版〉 あなたがたに災いあり。記す者たちよ。そして、パリサイ派の者たちよ。見せかけの者たちよ。なぜなら、ミントを、そして、ディルを、そして、クミンを、あなたがたは十分の一受け取っているからです。そして、より重大な法の事々を、正義を、そして、いつくしみを、そして、信じている事を、あなたがたは放って置くことになっているからです。その上で、これらの事々を行なうことになっていることを、かのお方が拘束しだしました。そして、それらの所々を放って置かないことを、かのお方が拘束しだしました。
 
Mt.27:49.〈Ελληνική〉 οἱ δὲ λοιποὶ ἔλεγον• Ἄφες ἴδωμεν εἰ ἔρχεται Ἠλίας σώσων αὐτόν.
Mt.27:49.〈Latin〉 ceteri vero dicebant sine videamus an veniat Helias liberans eum
Mt.27:49.〈William Tyndale〉 Other sayde let be: let vs se whyther Helyas will come and deliver him.
Mt.27:49.〈first King James〉 The rest said, Let bee, let vs see whether Elias will come to saue him.
Mt.27:49.〈recent King James〉 The rest said, Let be, let us see whether Elias will come to save him.
Mt.27:49.〈口語版〉 ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。
Mt.27:49.〈練語版〉 残りの者たちは言った。「そのままにしておけ。エリヤが彼を救いに来るかどうかを見よう」。
Mt.27:49.〈逐語版〉 その上で、残りの者たちは言いだした。「あなたが放って置きなさいとなっています。わたしたちは見て取ろうとすることになっています。もしも、かのイエスを救うこととするエリヤが、わざわざ来させられるのならば。」
 
Mt.27:50.〈Ελληνική〉 ὁ δὲ Ἰησοῦς πάλιν κράξας φωνῇ μεγάλῃ ἀφῆκεν τὸ πνεῦμα.
Mt.27:50.〈Latin〉 Iesus autem iterum clamans voce magna emisit spiritum
Mt.27:50.〈William Tyndale〉 Iesus cryed agayne with a lowde voyce and yelded vp the goost.
Mt.27:50.〈first King James〉 Iesus, when hee had cried againe with a loud voice, yeelded vp the ghost.
Mt.27:50.〈recent King James〉 Jesus, when he had cried again with a loud voice, yielded up the ghost.
Mt.27:50.〈口語版〉 イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
Mt.27:50.〈練語版〉 イエスは再び大声で叫んで、霊をゆだねた。
Mt.27:50.〈逐語版〉 その上で、再び、偉大な音に叫ぶことになっているイエスが、霊を放って置くことになっていた。
 
『・新約聖書【真理発見訳】New Testament [Truth Discovery Version]』
http://shinyakuseisho.com/



来てくれてありがとね。ここは、がんばる人を応援するサイトなんだ。なんだったら。
cotobatsumugi @ NAKANE Hideto(`・ω・´)