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(中根英登:コトバイウ) あばうと

一神と汎神

 
よく
キリスト教のことを
一神教
と言うではないですか。
 
これ、
けっこう
一神教
という単語のイメージに
引きずられていると思うんですよ。
 
キリスト教というのは
ギリシャ文化圏の中で
生まれていますから
多神教ギリシア神話
の考え方とは
違いますよ
と強調しておく必要があったわけです。
 
ただ。
 
キリスト教のルーツとなっている
ユダヤ教聖典
旧約聖書
 
旧約聖書での神様は、
英語でGod、
日本語で神
と訳されていますけど
原典のヘブライ語での、
この単語
אֱלֹהִים
エロヒム
って、
そもそも複数形です。
 
それを踏まえた上で
一神教
を考えなければならないわけです。
 
そして、もうひとつ。
有名な
神聖四文字
יְהוָה
について。
これも神様なんですけど、
厳密には
神様の真名なんですよ。
神様の本名。
 
出エジプト記 20章7節』
あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
 
こう書かれているわけです。
十戒
10の戒めの1つです。
 
神様の名前を
みだりに
声に出して唱えてはいけないわけです。
こう考えると分かりやすいかと。
声に出すと
名前を呼ぶわけですから
来てしまうわけです。
あ、特に用はないです
と言われた日には
当然神様はむかつきますよね。
そりゃあ怒って当然です。
 
ですので
ヘブライ語
どうしても朗読しなければならない場合、
ユダヤ人たちは
神聖四文字
יְהוָה
を、
主(つまり、ご主人様ですよね)を意味する
אֲדֹנַי
(アドナイ)
にすべて置き換えて発音したぐらいなんです。
 
私、
神聖四文字
יְהוָה
の本当の発音について
気づいてしまったのです。
 
そもそも私、
音声学者ですので。
 
神聖四文字
יְהוָה
について、
従来発音されていた
ヤハウェ
でも構わないと思います。
 
でも
正直、
ヤハウェ
って
みだりに発音して
ひどいことになった人って
聞いたことがないですよねえ。
 
やっぱり
違うのではないかと。
 
うーん。
雑学の軽いノリで
この知識を手に入れると
ほんとに危険ですので。
 
ただ
核心のヒントは伝えますね。
神聖四文字
יְהוָה
のローマ字表記って、
YHWH
なんですよ。
 
すべて
子音だから
発音できない
とされていたのですが。
 
これらの子音
音声学では
半母音
と呼ばれるものなのです。
 
ですので
ちゃんと
それぞれ
単独で出せる音なのです。
 

の音は
詳しく言う必要があるかもしれませんね。

を半母音として考えるときは
無声母音
になるわけです。
母音はすべて有声なのですが
それを無声化するわけです。
すると
ハ行の冒頭の子音として振る舞うわけですね。
ただ、
今回の事例の場合は
2つの母音がリンキングを起こすのを防ぐ役割
2つの母音が1つの母音になってしまうのを防ぐ役割
と考えた方が英語圏の方々が発音する際は分かりやすいかと。
日本人の場合は
単純に
2つのHの音はないものとして発音すればいいのです。
YとWの2つの音がくっつくと

という音になっちゃうんですよ。
 
うん。
決めました。
答えを言います。
発音しなければいいわけです。
発音記号を使って表記する分には
大丈夫です。
 
IPA発音記号を使うと
[ jh wh ]
です。
私の発明した
呵名発音記号を使うと
【ィゥ】
です。
 
ヤ行の子音がY、
その発音記号は
[ j ]
ですので。
 
ワ行の子音がW、
その発音記号は
[ w ]
ですので。
 
[ ja ] [ ji ] [ ju ] [ je ] [ jo ]

【ィア】【ィイ】【ィウ】【ィエ】【ィオ】
 
[ wa ] [ wi ] [ wu ] [ we ] [ wo ]

【ゥア】【ゥイ】【ゥウ】【ゥエ】【ゥオ】
 
このように
発音表記できるからなのですね。
 
発声において
構造的に最も美しい名前です。
舌が最も前にある母音が
[ i ]【イ】
その子音に該当するのが
[ j ]【ィ】
舌が最も後にある母音が
[ u ]【ウ】
その子音に該当するのが
[ w ]【ゥ】
そして、この名前を言うためには
舌を前から後ろまで
動かさなければならないので
経過するすべての位置を経緯します。
つまり
最初から最後まですべて
という意味を含意しているのです。
その御名が
ィゥ。
 
この御名を
みだりに唱えてはいけません。
でも
逆に言えば
ここぞの時、
どうしても神様を呼びたい時は
唱えてみてください。
ただ、
大変なことが起こりますので
その大変なことが起こる覚悟を
持てないならば
1度たりとも
口に出して読まないでください。
 
旧約聖書では
יְהוָה אֱלֹהִים
と、
2つの単語が並んで表記されます。
英語では
the LORD God
日本語では
主なる神
と訳されてきました。
 
日本語の従来の旧約聖書
英語のキングジェームズ訳を
基に翻訳しています。
 
英語ラテン語の辞書を見ると
単語
אֱלֹהִים
エロヒム
は元々複数形だが
単数形とみなして考える

説明をしています。
 
どうして
こうなったのか。
 
思うに
単語
אֱלֹהִים
エロヒム
とは、
英語における
peopleとか
familyのような
単語なのではないでしょうか。
これらの単語、
単数としても
複数としても
扱うことができるのです。
 
単語
אֱלֹהִים
エロヒム

日本語に翻訳する場合、
神々
で、私は問題ないと思います。
ただ、
単数複数両扱い
を尊重するなら
神族
という訳し方がいいと思います。
Japanese
が単数と複数の両方を表す
のと同じ考え方ですね。
 
答えが出ました。
 
旧約聖書
יְהוָה אֱלֹהִים
を、従来は、
主なる神
と訳してきました。
 
神族ィゥ
です。
 
つまり、
神族のうちの一人の方、
ィゥさんが
創造神として
この世界を作った
というわけなのです。
 
私たちの言うところの
プログラムクリエイター
にあたると、
私は考えています。
 
そして、
新約聖書
エスの神も
同じく
ィゥさんである、と。
 
なぜ
そういった確信があるのかというと
『マタイによる福音書』の冒頭
第1章の第1節
アブラハムの息子の、ダビデの息子の、イエス・キリストの生成の巻物である。」
このギリシア
「息子の」
υἱοῦ
発音すると
イウ
というのです。
 
実質、
一緒なのですね。
 
すなわち、
アブラハムのイウ、ダビデのイウ、イエス・キリストの生成の巻物である。」
と読み替えることができるのです。
 
ね。
背中が
ぞわあ
っとするでしょ。
 
聖書学者の間で
なぜ新約聖書の中で
神の息子、人間の息子
と表現しているのかが分からない
という謎があるのですが、
それも、
「息子」という単語が「神の真名」を含意している
と考えると腑に落ちます。
 
もっとも
「息子」という単語が「イウ」と発音するのは
所有格の時だけなんですけどね。
 
ですから
冒頭で、
答え

分かる人にだけ出しておいて
後は、
単語を活用変化させて
みだりに「イウ」と唱えるのを防いでいる
という。
 
そして、
ここまで説明して
ようやく
この箇所を紹介できます。
 
『マタイによる福音書10章』
 
Mt.10:05.〈練語版〉 イエスはこれら十二人を遣わし、彼らに命じてこう言った。「諸国の民々の道に行ってはいけない。またサマリヤ人たちの町に入ってはいけない。
Mt.10:05.〈逐語版〉 十二のこれらの者たちをイエスが派遣することになっていた。かの十二のこれらの者たちに命じることになっている、イエスが、言っている、「諸国の民々の道の中へ、あなたがたはおもてへ移動しようとすることになっていません。そして、サマリヤ人たちの町の中へ、あなたがたは入ろうとすることになっていません。
Mt.10:06.〈練語版〉 むしろ、イスラエルの家の失われた羊たちのところに行きなさい。
Mt.10:06.〈逐語版〉 その上で、イスラエルの家の破滅をしているままでずっといる羊たちの方へ、むしろあなたがたはわざわざ行かさせられなさい。
 
実は
エス
ユダヤ人、イスラエルにしか興味がありませんでした。
ユダヤ人、イスラエル以外の所には行く必要がない、と。
 
『マタイによる福音書15章』
 
Mt.15:22.〈練語版〉 見よ、カナンの女がその地域から出て来て、叫んで言った。「主よ、ダビデの息子よ、わたしをあわれんでください。わたしの娘がひどく悪霊に取り憑かれています」。
Mt.15:22.〈逐語版〉 そして、あなたが見て取れとなっている。それらの境界地域地域から外へ来ることになっていたカナンの女が、叫びだしだ。言っている、「わたしをあわれんでくださいとなっています。主よ。ダビデの息子よ。わたしの娘が、わずらい悪く悪霊に、わざわざ取り憑かれています。」
Mt.15:23.〈練語版〉 しかし、彼は彼女に一言も答えなかった。そこで弟子たちが彼のところに近づいてきて彼に願って言った。「彼女を追い払ってください。わたしたちの後ろで叫んでいますから」。
Mt.15:23.〈逐語版〉 その上で、かのカナンの女に、かのイエスは言葉を自分自身でわざわざ答えないことになっていた。そして、近づくことになっている、かのイエスの学習弟子たちが、かのイエスを要請しだした。言っている、「かのカナンの女をあなたがおもてへほどいてくださいとなっています。なぜなら、わたしたちの後ろで、かのカナンの女が叫んでいるからです。」
Mt.15:24.〈練語版〉 彼は答えて言った。「わたしはイスラエルの家の失われた羊以外には遣わされなかった」。
Mt.15:24.〈逐語版〉その上で、 答えさせられることになっている、かのイエスは、言うことになっていた。「もしもイスラエルの家が破壊されているままでずっといる羊たちの中へでないのならば、わたしは派遣されないことになっています。」
Mt.15:25.〈練語版〉 しかし、彼女は来て、彼を拝んで言った。「主よ、わたしをお助けください」。
Mt.15:25.〈逐語版〉 その上で、来ることになっている、かのカナンの女が、かのイエスに拝みだした。言っている、「主よ、わたしにあなたが助けてください。」
Mt.15:26.〈練語版〉 しかし、彼は答えて言った。「子供たちのパンを取って小犬たちに投げ与えるのは良くない」。
Mt.15:26.〈逐語版〉 その上で、答えさせられることになっている、かのイエスは、言うことになっていた。「子供たちのパンを手に入れることになっていることは、そして、小犬たちに放り投げることになっていることは、理想的でありません。」
Mt.15:27.〈練語版〉 すると彼女は言った。「そうです、主よ。でも、小犬たちもその主人たちの食卓から落ちたパンくずを食べるのです」。
Mt.15:27.〈逐語版〉 その上で、かのカナンの女は言うことになっていた。「はい。主よ。小犬たちもが、食べているのですから。かの小犬たちの主人たちのテーブルから落ちるパンくずたちから。」
Mt.15:28.〈練語版〉 そこでイエスは答えて彼女に言った。「女よ、あなたの信仰は偉大です。あなたの望むとおり、あなたになるように」。すると、その時から、彼女の娘はいやされた。
Mt.15:28.〈逐語版〉 そのとき、答えさせられることになっていたイエスは、かのカナンの女に言うことになっていた。「ああ。女よ。あなたの信じている事は偉大です。あなたが望んでいるとして、かのお方があなたに起こることをさせられてくださいとなっています。」そして、その時間から、かのカナンの女の娘は治らさせられることになっていた。
 
エスにとって
救う対象は
ユダヤ人、イスラエルだけだったのです。
もっとも、
この『マタイによる福音書15章』では
ユダヤ人ではない、
カナンの女を
エスが救う
という話が展開されます。
ただ、あくまでユダヤ人でない異民族は
子供の子犬扱いだったのです。
ユダヤ人が子供で、異民族が子犬です。
子供がこぼしたおこぼれを
子犬が拾う
にすぎないわけです。
 
キリスト教って、
一神教といえば一神教なのですが、
あくまで、その唯一神
ユダヤ民族の神であり、
異民族の神ではないのですね。
 
異民族にまで神の愛を拡張したのは
エスではなく、
パウロなんです。
 
なぜ
新約聖書
4つの福音書で終えるのではなく、
その後に長く書簡集が続くのかというと、
エスの後の
パウロの働き、パウロの考え方こそが
異民族におけるキリスト教信仰の根拠になっているからなんです。
 
さて。
私たち日本人が
どうキリスト教に接すればいいか。
 
今までの宗教観を変えることなく
キリスト教を楽しめばいいと思います。
 
キリスト教に入信すると
キリスト教以外の宗教を排除しなければならない
という考え方がありますね。
でも、それって、
ユダヤ人にとっての決まりなのです。
ユダヤ人になるほどの決意ならば
他の宗教を排除することに整合性がありますが、
ユダヤ人になるつもりがなければ
これまでと同じように
いろんな宗教に親しめばいいと思いますよ。
 
Mt.22:37.〈練語版〉 彼は彼に言った。「『あなたの心を尽くし、あなたの魂を尽くし、あなたの思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ』。
Mt.22:37.〈逐語版〉 その上で、かの一人の法学者に、かのイエスは断言しだした。「『あなたのまるごとの心の中で、そして、あなたのまるごとの魂の中で、そして、あなたのまるごとの脳の中で、あなたの主を、あなたの神を、あなたは愛することとします。』
 
あなたの神という言い方、
エスも、モーセも、しているのですよ。
 
これは
私の認識、解釈なのですが。
 
ゲーム内の
各キャラクターである私たち人間のひとりひとりに
神族のプレイヤーがひとりずつ付いていて、
その神族のプレイヤーたちのひとりとして
創造神イウさんが参加することもある
という認識を私は持っています。
 
こう考えれば
八百万の神々が守護するという
日本人の神様観と
神族による一神教であるユダヤ教
エスの考え方は
違わないなあ
と思うのです。
 
ユダヤ人の皆様は
汎神の日本の宗教観に
シンパシーを抱いて下さっているそうで。
 
私も
ユダヤ教の考え方に
違和感は覚えないのです。
 
むしろ
異教徒は排除
という考え方こそ
エスの考え方では、ない。
 
確かに
エスにとって
ユダヤ人が最優先ですけどね。
エスにとって
異民族は、異教徒は、
それでも
なついてくれるとかわいい子犬ですので。
  
そうそう。最後に。
僕も
自分のプレイヤーである神様の真名は
知らないのです。
ただ、まあ、
名前を知らなくても
意志の疎通はできているので
不都合はありません。
 
で。
創造神ィゥ様のことですけど、
ユダヤ民族の世界の創造神なので
日本国内で言っても実際には問題ないのかな
とも迷いつつも思いつつあった矢先、
ユダヤ教は今や世界宗教になっているので
創造神が
クリエイタープログラマーであるならば
ソフトのヘルプ
カスタマーサービス
の役割をしていると思い至り、
そりゃ用もないのに呼んではいけない
という正しい認識に至りました。
大変そうだあ。
 
神族のお方のお手伝い、
私にも、できますでしょうか。
 
 * * * * *
 
『マタイによる福音書1章』
 
Mt.01:01.〈練語版〉 アブラハムの息子であり、ダビデの息子であるイエス・キリスト系図の本。
Mt.01:01.〈逐語版〉 アブラハムの息子の、ダビデの息子の、イエス・キリストの生成の巻物である。
Mt.01:01.〈English〉 The book of the genealogy of Jesus Christ, the son of David, the son of Abraham.
Mt.01:01.〈Ελληνική〉 Βίβλος γενέσεως Ἰησοῦ χριστοῦ υἱοῦ Δαυὶδ υἱοῦ Ἀβραάμ.
 
Βίβλος γενέσεως Ἰησοῦ χριστοῦ
ヴろ セオ イイ フウ
[ vivlos ʝeneseos iisu xristu ]
υἱοῦ Δαυὶδ υἱοῦ Ἀβραάμ.
【 イ ヴウ
[ iu ðaið iu avraam ]
 
『・新約聖書【真理発見訳】New Testament [Truth Discovery Version]』
http://shinyakuseisho.com/

来てくれてありがとね。ここは、がんばる人を応援するサイトなんだ。なんだったら。
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