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(中根英登:コトバイウ) あばうと

優しい世界『ナイツ・テイル-騎士物語-』

 
 
これって
パラダイム・シフト
だと思うんですよね。
世界の枠組みの劇的な転換。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%88
 
歴史の終焉
という言葉もあります。
歴史とは何か。
歴史とは
その抽象的認識はどうであれ
現実としては
対立する勢力の抗争
としか描かれてこなかった。
資本主義国と社会主義国であれ。
朝廷と幕府であれ。
私も歴史の教師として
そう教えてきました。
蘇我氏×物部氏
であったり
新政府軍×旧幕府軍
であったり
と黒板に板書しながら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%AE%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8A
 
2度の世界大戦の終結
および
ベルリンの壁の崩壊
によって
あるたぐいの戦争は終わった
とされています。
それをもってして
歴史は終わった、と。
 
そのように
考えるなら
今は
歴史の後の時代なんです。
知ってました?
今という時代は
歴史という枠組みの外の時代なんです。
 
歴史が終わった今、
どのような枠組みがいいか
ずっと模索している。
それが
今という現代。
 
その現代という時代の中で
その答えを提示しているのですね。
『ナイツ・テイル-騎士物語-』
は。
 
9月29日の土曜日、昼の公演を観劇しました。
大阪の梅田芸術劇場で。
午前中は
帝国座の跡地とそのまわりを散策していました。
霧雨の中。
日本初とも言われる大規模な鉄道計画運休が実施された台風の前日。
 
川上音二郎が建てた帝国座は
まさしく
大阪駅・梅田駅から南に歩いて約2km、
大江橋淀屋橋を越えてすぐにありました。
その一帯は蔵屋敷
そう、天下の台所と呼ばれていた
まさにその場所にありました。
ここで彼は
日本で初めて
シェイクスピア劇を演じていました。
 
悠久の時間の流れの中で
演目を上演する意味。
この作品を原因として
生み出すものは何か?
 
ジョン・ケアード
って凄いな
って思いました。
 
この作品が
人類史上極めて重要になる
歴史的な作品になる
と発表当時から
私は言っていたと思うのですが
そのとおり
歴史的な脚本を仕上げる
というのがいかに至難なことかは
言うに及びません。
それを、
仕上げてしまったのですから。
 
一方で
意気に感じる
というのも
ありますよね。
歴史に残すんだ
と思わなければ
歴史に残らない。
それもまた
真理
なわけで。
 
背の低い方がアーサイト!
ここから喜劇色を一気に強めて
ここから観客のみなさんに絶賛されるシーンの
オンパレードになるわけですが。
私は
背の低い方がアーサイト!
に至るまでのシーンこそが
いかに重要であるかを
指摘していきたいのです。
なぜなら
それこそが
世界巡業で大成功が約束されているシーン
なのですから。
 
ピンとこないのは
日本人だから。
世界に飛び出した途端
それはエキゾチックな個性に変貌する。
体の芯に響く和楽器がしかり。
神々という言葉もしかり。
イギリス人であるジョン・ケアードにとって
神々
という言葉はとても勇気のいる言葉なのです。
なぜって
イギリスは
キリスト教の国ですから。
神々という言葉を日常的に使うのは
今は日本だけ。
今なお神という存在に厳格なキリスト教圏で
神々という言葉を使うのは
異教徒として排斥されかねない。
キリスト教一神教の宗教ですから。
 
でもね。
日本人が言うのならいいんです。
日本人が神々と複数形で呼ぶのは
世界的に有名ですから。
しかも、最近の日本はうまく行っている
と言うじゃあないですか。
 
神をあがめるのは
ひとえに
うまくいくからです。
神々
という間違った考え方をしていて
うまくいくわけがない。
でも
日本はうまくいっている。
ということは
神々でも問題はないのではないだろうか。
そのように思われ始めているわけです。
神々
という不思議な考え方に
世界は興味津々なわけです。
 
そもそも演劇とは
奉納
であった。
村祭りレベルで
エスの生誕から復活まで
追体験することもそうですし、
そもそも日本の

は奉納そのものを抽出した演劇であった。
 
ナイツテイル冒頭の群舞は
奉納なのだ。
能動的な能なのだ。
 
第1幕の
和楽器
群舞
神々
これらを目の当たりにしたとき
私は確信したのです。
 
そもそも
ジョン・ケアード
は再演するために作っていた。
ただの再演ではない。
世界巡業のための再演である、と。
 
私は
涙を流しながら
確信していました。
 
和楽器
群舞
神々
これらが
どれほど衝撃をもって
世界で受け止められるか。
私には
はっきりとみえるからです。
 
そもそも
欧米では
神様を具現化しない。
モーセ十戒
偶像を作ってはならない。
ところが
日本では
男梅
として愛されているクリオンの大きなお面に。
世界では
また日本は神様をフィギュアにしおって~
とウケると思います(笑)
 
世界ではタブーでも
日本人ならしかたがない。
やっちゃダメなことをとことんやりぬく。
そこにしびれるあこがれる。
それが現代社会で勝ち得た
日本の信用です(笑)
 
いいですか。
ジョン・ケアードさんは
そういったことを
私たち日本人にさせているわけです。
世界中に見せたいという気がない
わけないでしょう!
 
このようなことを
涙を流しながら
考えていたわけです。
泣いてなんかないよ!
 
最後には
神様を
取り換えちゃうでしょう。
海外に渡ったら
観客のみなさん
天地がひっくり返るほど
腰を抜かすと思います。
 
それを
平然と
平然と
観ている日本のお客様。
それそのものが
日本が異世界である
という根拠になると予測します。
 
日本人なら
うまくいかなかったら
行く神社
変えちゃうもんね。
神社で年を重ね
教会で結婚し、
お寺で葬式をする。
神々を使い分けることこそ
日本人にしかできない発想。
その面白さに気づいていたのが
異国のジョン・ケアードさんだったわけで。
 
異世界
みんなが観たいのは
結局はそれで。
ナイツテイルは日本人にしかできない。
(日本人以外がやったら殺されかねない)
(日本人がやったら微笑ましく見守られる)
日本人が作った
日本がうまくいく秘密を
みるために
世界中のみなさまが
押し寄せることとなります。
 
なぜ
ジョン・ケアードさんが
キリスト教を意識しているのが分かったのかというと
舞台設定が
エスが生まれる前のギリシャだから。
ギリシア神話
西洋における神々世界の雄。
キリスト教が広まった後は
ギリシャ一神教に取り込まれちゃったので
エスの前の時代にする必要があった。
 
そう、騎士の話はきみの話だ
とはまさにそのこと。
 
そもそも
旧約聖書の神は複数形であった
というのも
個人的に聖書を研究している人にとっては
それなりに有名なんだけど
そのことを教会で言える雰囲気には
全然なっていないことが
実状なわけで。
あえてイエス以前のギリシア神話の世界観を
同じく神々の世界観の今の日本人が演じることで
キリスト教世界の歴史をサンドイッチにしようとしたわけ。
 
ジョン・ケアードさんは
ギリシャとローマの対比の秘密をご存知なんですね。
でしたら
ジョン・ケアードさんなら
分かってもらえる。
 
もともとイエス
平等志向で。
ヒエラルキーを壊そうとして活動していた。
誰でも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるだろう。
But whoever will exalt himself will be humbled, and whoever humbles himself will be exalted.
ὅστις δὲ ὑψώσει ἑαυτὸν ταπεινωθήσεται, καὶ ὅστις ταπεινώσει ἑαυτὸν ὑψωθήσεται.
そのようなイエスの教えを
エスの死後、
ラテン語
ローマ帝国
骨抜きにしてしまった。
支配から脱却する考え方を広めようとしたイエスの教えを
支配する道具へと書き換えてしまった。
それが今のキリスト教
元のままのイエスの教えなら
戦争の道具に使われるなんて
ありえないもの。
 
ヒエラルキーを保持しようとする神を
正しいとしているけれど
そうしようとしている神は
果たして正しいのだろうか
という違和感。
それこそがまさに
ナイツテイルのテーマそのもの。
 
正しいならば
もう少しは自分も納得できそうなものなわけです。
でも、どうしても納得がいかない。
ということは
信じていた神の解釈そのものが間違っていたのではないだろうか。
 
脅迫と強要が跋扈していたインターネット。
そのままにしておくのが正しいとされていた。
でも多くの人は納得していなかった。
なのでこの夏、跋扈できないよう一気に運用の方針が変わった。
それと一緒のことです。
 
そう、騎士の話はきみの話だ。
 
ヒエラルキー
男女の仲も
平等になりたいだけなのにね。
平等って
そうとう難しいこころのありようのようで。
男であれ
女であれ
自分が上になろうと
ついついしちゃう。
マウンティングを
ついついしちゃう。
  
そもそも
人間って
普通にしていると
ナチュラルに上から目線。
 
タメ口そのものが
上からの言い方だもんなあ。
 
エス自身は
だいぶ男女平等志向だったけど
福音書になった時点で
当時の文化慣習のためだいぶ薄れてしまい、
ローマ帝国の国教となるラテン語版で
ヒエラルキーが固定化してしまったので。
それは男女にも適用され。
だから、
発想の転換がテーマの
ナイツテイルを
キリスト教文化圏の話にしづらかったのは
いたしかたのないこと。
 
でも、
納得、いかないよねえ。
 
新約聖書を読むと
エスが身分の壁を壊そうとしているのが明らかなんだけど、
キリスト教を根拠に
上下関係を強要する主張を見ると
納得、いかないよねえ。
エスこそが発想の転換を人類に勧めた張本人なんだけど。
 
いとこの2人からしたら
どちらかが死ぬまで戦うことで
納得はいくのだろうけど。
名誉、ということを根拠に。
フラヴィーナの立場になれば
好きなパラモンが死ぬか
好きなパラモンが好きなエミーリアと結婚する
という二択は
絶対に納得がいかないよねえ。
 
そもそも
ちょっとしか知らない男と
ちょっとも知らない男が
自分を取り合っているという状況が
一番納得いかないわけですが(笑)
 
ちょっとは
知るための機会ぐらい与えろ!(笑)
 
納得が
テーマおよび解決の糸口になっているところが
パラダイム・シフト
だと思うのです。
これまでの思想にしたって
元々は納得できるために構築したはずなのに
現実には
たくさんの人たちを置いてけぼりにしてきたよねえ。
そんなのじゃなくて
ひとりひとりが納得できるように
もっと繊細に考え抜かないとダメだよね。
一元的な考え方じゃなくてさ。
そういう問題提起をしている作品なんだと思う。
 
ヒポリタの考え方は
すごくまっとうだと思う。
まっとうをまっとうたらしめるためには。
これまでむしろ我慢してきたわけだからさ。
そういうまっとうさが通るだけでも
人類はものすごい進歩を遂げているのだと思う。
参加している全員が納得する道を
一生懸命みんなで考える。
 
ジョン・ケアードは
だから、
稽古場で
そういう態度を貫いたんじゃないかな。
作品がそういう作品なのに
実際がそうでなかったら
変だものね。
 
思想ではなく
考え方。
もっと素朴なものでいい。
 
人に迷惑をかけるな。
人に失礼なことはするな。
敬語と礼儀作法と。それをしっかりしなさいって。
そして、他人を思いやるこころを持っていなさい。
 
上白石萌音さんが
上白石家の家訓を
披露してくれました。
http://radiko.jp/#!/ts/LFR/20180929004000
 
言っとくけど
ぼくが言っているだけで
萌えるとエモいが
上白石家の家訓なわけないからね(笑)
 
ものすごくまっとうなわけで。
あまりにまっすぐな考え方。
ぼくがこれまでどれほど
上白石萌音の思想
と定義づけようとしたか(笑)
でも、
思想って、仰々し過ぎるんだよな。
考え方、ぐらいがちょうどいい。
萌音ちゃんの考え方。
 
自分よりも人を、という精神。
 
育てたものを
あげる
つもりで。
 
そういうわけで
世界巡業の旅とは
ナイツテイルの伝達の旅であるわけで。
 
日本での再演はいわば
壮行会。
日本で背中を押してもらって
世界に旅立ちましょう。
ジョンもロンドンで待っていることですし。
 
理想を言えば
それぞれの国の現地のキャストが決まった時点で
その劇場で日本のオリジナルメンバーが目の前で公演して
レセプションで
同じキャスト同士で
頑張ってね
と熱く握手を交わしてエールを交換すればいい。
こういうことが大成功するためにとても重要であることを
中日ドラゴンズ星野仙一監督から学びました。
外連味溢れる人情味、だいじ!
 
現地に行って
同じキャスト同士で言葉を交わすことって
とても重要なことなんです。
日本にいるとピンと来ないですけど
日本以外は一神教
この演目そのものがそれなりに危険なんです。
でも、言葉を交わした上で
上演の最後の歌の最後に
って日本人の友達が言ってた!
と現地キャストが全員で合唱して付け加えれば
みんな笑顔で終わることができるわけです(笑)
 
ナイツテイルだと
納得できるんですよね。
ほんと、
不思議な演目です。
根っこに
無邪気な明るさがあるからだろうな。
 
野田秀樹さんの
『贋作 桜の森の満開の下』(Sous les fleurs de la forêt de cerisiers)
フランスで成功を収めているようです。
パリ公演 国立シャイヨー劇場。
海外字幕演劇の先駆者です。
分かりやすい字幕のつけ方があるようです。
https://www.nodamap.com/site/news/381
https://natalie.mu/stage/news/301747
http://entre-news.jp/2018/09/53918.html
https://www.theatre-chaillot.fr/fr/saison-2018-2019/sous-fleurs-foret-cerisiers
 
ぼくが言うことに意味があると思うけど
外国語で歌う公演はちょっと待ってて。
英語で公演しようとすると
ヨーロッパ大陸とアジア大陸の国々を置いてけぼりにしちゃう。
海外はイギリスとアメリカだけではない。
呵名発音はまだ英語しかできていない。
各国の呵名発音はぼくがそのうち作るので。
まずは堂々と日本語で公演しましょう。
その方が、現地のキャストのみなさんの意味も上がるからね。
 
可能な限り
世界中で上演することがだいじ。
 
海外巡業と確信を持って言っているのは
次の事情があるからです。
めざせ東宝国際部の強化です。
https://www.saiyo-info.net/toho/senpai/senpai04.html
 
東宝は国際部門を強化すべしって
近年、世間から
散々発破をかけられているからねえ。
これだけお膳立てがそろっていて
やらなければ
やる気ないんかい!
って世間様から見捨てられてしまう(笑)
 
東宝
日本の芸能の母艦です。
マザーシップ。
とはいえ
海外が得意な芸能会社がいくつか誕生しつつあります。
ここでぼんやりしていたら
母艦だと信用されなくなってしまう。
今こそ背中を押す時です。
 
ほんと。
海外観光のつもりで
気楽に行って欲しい。
google翻訳そのものが
学校の先生の翻訳能力を超えてしまったので
この無料のツールを活用しない手はないわけです。
意思疎通の交換なら
やろうとする意志さえあれば
簡単にできる時代なんです。
 
ついに
男性2人が主人公の
世界的脚本が、完成した。
「Teseida」
「騎士の物語」
「二人の貴公子」
にルーツを求めたのも
そのためだったからこそ。
他に
男性2人が主人公の
世界的脚本は、ない。
ナイツテイルが完成した今、
ブルーオーシャンなんです。
世界中の人気俳優が
ナイツテイルを受け取るのを待っている。
その起点となるのが、
日本のオリジナルメンバー。
魅力ですよね。
 
あと。
ナイツテイルが
過渡期の作品であることにも
気づきました。
そもそも
従来のドラマには
戦いが付き物だったわけです。
その戦いをなしにしよう。
ナイツテイルがそうであるなら
戦いのないドラマをいつか魅力的に作りたい。
そう考えるのが自然です。
 
となると
ARIA
なわけです。
これは
アニメ化の際の
佐藤順一監督の述懐が大きいのです。
曰く、
「戦いのない話がドラマとして成立するとは思わなかった。」
と。
もともと
美少女戦士セーラームーン』『ケロロ軍曹』の監督ですので。
そうか。戦いのないドラマはもともとなかったのか。
まるで
歴史
みたいだな。
 
それが
みごとに
ARIAシリーズで
物語として成立させた。
もともとの原作が
きれいなお庭のお花畑を見て
素敵!
と1話成立させてしまうような作品だったので。
こころの高ぶりだけで
作品として成立させてしまったのですよ。
もちろん
演者のみなさんの高い技量と意識を必要としますけれど。
そういうパラダイムシフトが起こっていると感じています。
新約聖書シェークスピアを越える“ポスト物語”は
ARIAだと
私は思っています。
戦いのない物語がこれまでなかったということは
戦いのない物語はこれからの
ブルーオーシャン
優しい世界。
 
歴史と同様、
戦いのない未来を
それでいてワクワクに溢れた世界を
夢見たいと思いませんか。
 
萌音ちゃん
桂ちゃん
歌穂さん
は、絶対に一緒に。
上白石萌音
音月桂
島田歌穂
の関係性は、そのまま
灯里
アリシア
グランマ
ですので。
 
この3人なら
争いのない
優しい世界を具現化できる。
世界中に広めることができる。
 
あ。
ここ、
めっちゃ号泣するところですよ(笑)
 
ARIAが伝えたかったことを
はじめて実写作品で成功させたのが
妹の萌歌ちゃんが参加した
義母と娘のブルース
だと思っています。
小さな奇跡
という出会いの積み重ねを
どう気づき続けるかが
核心の肝ですので。
戦いのない物語で感動を提供し続けることのできる
これまで発見された
おそらく唯一の方法。
 
人生の転機になった部分を作品に。
もしすべてに感動し続けることができたら
すべてのことが作品になりえます。
そんなぼくたちの汎神論。
 
ジョン・ケアードさんなら
シェイクスピアを越えることができると思っています。
この座組の日本国内での信頼は絶大です。
ここはサンクチュアリですので
本来は冒険であるはずの
戦いのない物語を
思い切り展開し続けることができます。
 
担保もあります。
ナイツテイル2。
ナイツテイル上演までの出来事を
そのまま作品にしてもいいのですよ。
それそのものが感動的な物語ですので。
騎士物語のための物語。
キャスト・スタッフ以外知らない経緯を
そのまま作品にしちゃう。
大ヒット完売御礼を
お約束します。
 
萌音ちゃんの話に限っても。
「二人の貴公子」の
牢番の娘を
フラヴィーナに結びつけることそのものが
萌音ちゃんが
人生で望んでいたことそのものなのですから。
これが
当て書きでなくて
何が
当て書きでしょうか。
 
男も女も関係なく
老若男女
みんなで仲良くできたらいいのにね。
 
それが具現化できたカンパニー。
それが
ナイツテイルカンパニー。
みんなが夢見た
理想郷。
楽園なんですよ。
 
みんなで素敵な世界を作り上げよう。
そして、
ここで知った争いのない素敵な世界を
外の世界にも広げよう。
ひとりひとりが
主人公として。
 
堂本光一 川´▽`) 
井上芳雄 ∬`へ´)
音月桂 人^▽^)
上白石萌音 (・ω・)
岸祐二 >益<
大澄賢也 =薔=
島田歌穂 +・〇・+
 
 
 
 
 

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